大阪人への憧れ
私は生まれも育ちも新潟だが、大阪人が好きだ。
前の前の職場で、東京、大阪、名古屋など、月一回は出張に出ていた。
営業、売り込みである。
婦人のセーター・カットソーを問屋さんに卸していた。
客先は、小売店、スーパー、百貨店などに卸している問屋さんだ。
ひとくくりに日本人と言ってもいろいろな性格の人がいるように、東京人、大阪人、名古屋人などとくくっても、ただの偏見にすぎないと言われるかもしれない。
しかし、アメリカ人と日本人の性格は違うと言っていい。
もちろん、例外はあるが、この意見に反対する人はいないだろう。
同じように東京人と大阪人は違う。
もちろん、新潟人と大阪人も違う。
例外はあるだろうが・・・・。
誤解を恐れず持論を展開していこう。
大阪人は合理主義者である。
損得勘定がしっかりっしていて、自分は絶対に損をしないように計算している。
そしてできるだけ多くの情報を集めようとしている。
小さな食堂の厨房では、若いバイトの子たちが株の話や競馬の話なんかをしている。
しかし、ギスギスしているわけでもない。
道端で話し込んでいるおばちゃんたちの会話を聞いても、漫才をしているように聞こえる。
わりと人懐っこい人が多い。
大阪弁も好きだ。
きつい感じがしないので、抵抗感が少ない。
東京人が、「あんた、何ばかなこといってんだ」と言うところ、大阪人なら「君、何をあほなこというてんの」と言う。
これひとつとってみても大阪弁はなごむ。
しかし、彼らの愛想も愛嬌も、非常に計算されたものだということを忘れてはならない。
「あんたのためや。こんなええ話ないで。」「無理にとは言わんけど・・・・・。」
ものすごいいい儲け話を勧めてくれるが、あとでよく考えてみると、ものすごいリスクを背負わせられている・・・なんてことがよくある。
ここは気を付けなければならない。
大阪の街を歩いていると、道行く人全てが漫才師のようであり、商売人のようでもある。
私は、そんな街の雰囲気が好きだ。
彼らは、自分の利益になる情報を得るために、広く浅く付き合おうとする。
だれにでも冗談を言い、「あんたとは、ようしゃべらんわ」と言っても、なんでしゃべりたくないかをべらべらとしゃべりまくる。
彼らは多くの人を浅く受け入れて、その時その時で利益をもたらしてくれる人と深く付き合う。
利がなくなれば、再び浅い付き合いにもどる。
東京人は人情に厚いが、とっつきにくい。
しかし、気に入ると利があろうがなかろうが、長く付き合おうとする。
私の性格としては、東京人に似ている。
だからよけいに大阪人にあこがれるのである。

