無意味なことには、人を活かす力がある。
人間のどんな行動も感情から生まれてくる。
感情から思考が、思考から行動が生まれる。
楽しいとか面白いという感情をできるだけ長く感じていたいと思うのは、私だけではないだろう。
なぜ、それが楽しいのか?
なぜ、それが面白いのか?
私にとっては武術の稽古をすることが、楽しいし、面白い。
なぜ武術を稽古することが楽しくて面白いのか?
武術は長年、先人たちが生死をかけて研究し工夫してきた知恵の宝庫だ。
戦いの中で生き残るための・・・・。
なんて理屈をこねるが、正直、楽しいから楽しい。
面白いから面白い。
ただ長年夢中になってやってきたものに意味を持たせたい。
だから、現代における武術の意義とか、武術の日常生活における効用とか、いろいろな理屈で語る。
しかし、自分の中では、そういった意味を探している時点で、あとづけ感はぬぐえない。
やっていると楽しい、面白い。
以上である。
みなさんの趣味だって、ただただ楽しくて面白いからやっていると思う。
それがいかに有益なものかなんて、本当は関係なくて、ただただ楽しくて面白いからやっている。
それが本音ではないだろうか。
ところが、趣味以外のことだと、人はいろんなことに意味つけをしないと気が済まない。
仕事に関しては特にそうだと思う。
製造業であろうと、販売業であろうと、企画、営業、売り上げ、仕入れ、全てにおいて意味をみつけてコントロールする。
街もビルも家も、道路も橋も、全て計算されていて意味づけされている。
しかし、そんななかで生活しているとどうしても息苦しくなってくる。
それが人間だと思う。
だから、休日には自然を求めてでかける人が多い。
草も木も海に浮かんでいる流木も、それを見る人のためにあるのではなく、その人の存在と全く関係なく存在している。
だから、開放感がある。
気分がすっきりする。
その自然は、意味付けされて存在してはいない。
人間の意味付けにも思考にも関与していない。
逆に普段生活している環境は全て意味付けされている。
生まれてからこのかた全てに意味付けされて、意味を求めるのが当然のようになってくる。
こうなると、自分の存在意義、価値観は何かといつも考えるようになる。
自分で自分を意味づけしないではいられない。
結局、それで生きていることに意味がないと思ってしまえば、自殺することになる。
アイドルや歌手に夢中になる。
今では全く役に立たない骨董品を集める。
昭和のブリキおもちゃを集める。
売るつもりもないガンプラ作りにこだわりをもって夢中になる。
キティ―ちゃんグッズを集める。
ひたすら小さいものを作る。
何の役にも立たず、意味を持たないものに夢中になる。
これは、全てにおいて意味を求められる現代において、とても大切なことだと思う。
自然や宇宙は人間に意味づけされるために存在しているのではなく、自然の一部でしかない人間が全部を理解できるはずもない。
だから、無意味なことに夢中になってしまうのは、自然のなりゆきだと思う。
「そんな無意味なことはするな!」
そう言われて育つと、人間は生きる力を失う。
そんなふうに思うのだ。