レジ打ち名人はセルフに勝つ!
わりとよくスーパーで買い物をする。
最近はレジがセルフになっていて、自動化が進んできているなと思う。
不思議なもので、最初はとまどうが利用しているうちに慣れてきて、小銭を財布からさらう時に、あまりせかされている感じがしない。
しかし、あまりにも会計が遅いとあとに並んでいる人の視線を感じるが、有人の時とは違う。
もたつくとまず、レジ打ちの人のいら立ちが気になってくる。
次に後ろに並んでいる人のいらだちを感じる。
いらだちとあせりがセルフと有人では違う。
やがて、レジも完全自動化して、レジ打ちの人もいらなくなるのだろう。
レジ打ちの速い人は、見てていても気持ちがいい。
こういう人はいろんなことに気が付く。
よく来る客だと、ポイントカードを持っているかいないか、現金かカードかなどは憶えてくれている。
でも、一応確認はしなければならないみたいだ。
マニュアルにそう書いてあるのかもしれない。
しかし、毎回同じように「ポイントカードをお持ちですか?」「支払いは現金ですか?カードですか?」「レジ袋はいりますか?LとLLがありますがどちらにしますか?」「スプーンと箸はおつけしますか?」と聞かれると、毎日来てるんだからいちいち聞かないでほしいと思う。
若い学生のアルバイトみたいな子は、この一連の質問をめんどくさそうに言う。
何かほんとうにいやなんだけど言わされているみたいな感じで言う。
いやなのはこっちだ。
いちいち聞かれるのも面倒なのに、そのセリフが終わるまで聞いていなければならない。
どんな顔をして聞けばいいのか?
相手も仕事だから、あからさまにいやな顔をするのもかわいそうだ。
ところが、ベテランでレジ打ちの速い人は違う。
「ポイントカードは無しで、お支払いは現金ですね。レジ袋はLで、お箸とスプーンはお付けしますね。」
このセリフをはきはきと元気よく言われたら、こちらも気分がいい。
それに、この人は私のことを憶えてくれているんだなとうれしくなる。
もし、AIが内蔵されているセルフレジができたなら、顔認証か何かで、同じようことを言うかもしれない。
しかし、機械が憶えてくれていても、それほどうれしいとは思わない。
他人が憶えてくれていることがうれしいのだ。
そういうことを考えると、レジは100%セルフにしないで欲しい。
人の価値は効率だけで決まるものではない。
人は人生の豊かさを味わいたいのだ。
効率重視で次から次へと処理されていくのは味気ない。
たとえ、その場では価値がわからなくても、いなくなってはじめてわかることもある。
余計なもの、無駄なものと決めつけても、あとで必要なものだったとわかることがある。
数字やデータに見えないことが、人を幸せにしていることだってある。
レジ打ち名人の手際を見ながら、あらためてそう思う。