体は電子で変化する。
物質を構成するものは原子だ。
原子は原子核とその周りを回る電子でできている。
昔はその電子が粒のような物体だと思われていた。
しかし、研究によって電子は波のような状態でいるときと、粒のような状態でいる時があることがわかってきた。
波のような状態でいるときは、その電子を観察者が見ていない時だ。
粒のような状態でいるときは、観察者が見ている時だ。
つまり電子は波であり、粒であるということ。
それと人の意識によって波になったり粒になったりするということ。
これは何を意味するか?
世の中の物質というものは、人が意識していれば物質として存在するが、意識していないと波になってしまうということだ。
不思議なことに、人が意識しないと物質は実態がはっきりしなくなるということだ。
目の前にコーヒーカップがある。
自分がそこに持ってきたのであれば、必ず物質としてそこにある。
しかし、自分が持ってきたものでなく、人が持ってきたもので、しかも、見えないところにあれば、そのコーヒーカップは波のように不安定な状態で存在するということだ。
つまり、意識していない物質は、私たちが見たこともない不安定な存在となっている。
ひょっとしたら別の色や形で存在しているかもしれないのだ。
では、見なければ、その不思議なものをさわることができるのか?
触れば、意識するので、実体を持ったコーヒーカップとなる。
体の痛みがあるとき、意識はそこに行く。
例えば、薬指。
人差し指や親指、中指などは使う場合が多いので、意識が行ってる時が多い。
しかし、薬指はどうだろうか?
日常的にあまり使わないので、あまり意識していないのではないか?
薬指の存在すら、意識していないかもしれない。
ひょっとしたら、私たちの薬指は、視野に入っていなくて触れていなければ、波のような不安定な存在になっているのかもしれない。
だから、結婚指輪は薬指にする。
しっかり相手と手をつなぎ絆を強くするために薬指に指輪をはめる。
これは、学会ではまだ発表だれていない。
私が考えた説だ。
ノーベル賞は無理か・・・・。
骨はどうだろうか?
背骨の意識が強くあれば、姿勢が良くなる。
背骨がしっかりと物質化するからだ。
背骨に意識が無い人は猫背になる。
背骨が波のように不安定になるからだ。
不安定な物質になるので、ゆがんだりずれたりしやすくなる。
痛みがあれば、背骨に意識が行くが、痛みが出てからでは、意識しただけでは歪みは取れない。
内臓も同じだ。
例えば、普段、膵臓など意識するだろうか?
膵臓の位置すらわからない人もいるだろう。
意識しなければ、物質は不安定な状態になってしまう。
従ってその機能も安定しない。
しかし、膵炎とか、糖尿病になったりすると膵臓ってどこだと思い、意識するようになる。
しかし、症状が出てから意識しても、膵臓の病気は治らない。
内臓の位置を把握し、不調がないときに皮膚の上から手を当てて意識し、感謝の念を送ると健康になると言う人もいる。
意識すれば、物質的に安定し、機能も安定し、病気になりにくくなる。
電子の性質を考えれば、そういう説も正しいのかもしれない。
そういった意味では、カイロプラクテイックの施術で、普段意識していない骨格や筋肉を意識するのは有益なことだと思う。
体がしっかりと物質として安定して、気分的にもシッカリスッキリする。