死後の世界はあるかないか?
死後の世界というと思い浮かぶ人物がいる。
俳優の丹波哲郎氏である。
子供のころGメン75というドラマがあって、そこにボス役で出ていた。
そのドラマでの印象は、渋い感じのベテラン俳優という感じだった。
あとで、丹波さんの自伝を読んだ。
普通であれば、ベテラン俳優の自伝など、当時若かった私には興味がなかった。
しかし、彼が「霊界の宣伝マン」と自称し始めたころから、興味が湧いてきた。
本を読むと、なんといい加減なというか、成り行き任せというか・・・・。
こんな人だったんだと驚かされた。
まず、英語ができないのに通訳の仕事をしていた。
その場凌ぎでごまかしていたが、しゃべれないのがばれてクビになったそうだ。
次は役者の仕事をした。
セリフを全く憶えてこない。
現場ではじめて台本を見て、うろ覚えとアドリブで適当にごまかして演技をしていた。
しかし、なぜか、その演技が賞賛されて、次々と映画やドラマに出演していった。
その独特の口調、落ち着いた態度と重厚感を見ると、とてもテキトーにやっている役者には見えなかった。
そのうち彼は霊界、死後の世界についてテレビで語るようになった。
人間は死ぬとお花畑に行く。
そこで、だれかが迎えに来て、どこかの村に連れていかれる。
そこには、会ったこともないのに気心の知れた人たちがいて、楽しく暮らしている。
とても居心地がいい場所だそうだ。
そこでは、生前病気で身体が動かなくなった自分ではなく、自分の人生の中で一番輝いていた時の自分の姿になっている。
もう、何十年も前のことなので、かなりいい加減な記憶だが、だいたいそんなことをお話されていたと思う。
「大霊界」という映画も作られて、ご子息が主人公を演じられていた。
死後の世界では、死ぬと同じような性格、才能を持った人たちの村に連れていかれる。そこである期間を過ごして、また生まれ変わる。生まれたらまた、人生の修行をして霊界に帰っていく。こうして魂は修行して成長していく。
死は恐れることではなく、もといた場所に帰っていくことだ。そしてまた生まれ変わり、魂の成長のためにこの世で修行する。
死は、ただの通過点にすぎない。
そんな内容だったと思う。
当時、私は死というものは怖いものだと思っていた。
丹波氏の話が本当ならば、安心して死ねると思った。
彼がどこから情報を得たのかわからない。
いろんな人の臨時体験などから、そういう結論を、導き出したのかもしれない。
しかし、臨死体験をした人は死んではいない。
死んではいないから、その体験を話せるのだ。
本当に死んでいないのだから、その体験が本当に死後の世界の体験なのかは疑わしい。
本当に死んだら、語ることはできない。
臨死体験をした人は、一様にお花畑が見えたという。
また幽体離脱のような現象になったという人も多い。
しかし、それは生命が危険にさらされたとき、脳が幻覚を見せたのかもしれない。
いずれにしても、死んだらどうなるかは未だだれにも証明できない。
人生の終盤を迎えて、病に侵され、死の恐怖におびえる。
だれでもそうだ。
当たり前だと思う。
それは、死んだらどうなるかわからないからだ。
全て無になって、ただ亡骸だけが残るのか。
それとも死後の世界に行くのか?
だれにもわからない。
だから怖い。
しかし、私は思う。
死後の世界があると思っていたほうが、やすらかに死ねるのではないだろうか。
現代医学と代替医療を取り入れた統合医療の第一人者、帯津良一先生が著書「人の哀しみがわかる医者になってほしい」の中でこんなことを書かれている。
死後の世界があるかないかについては、だれにもわからない。
しかし、私はあると思う。
多くの患者さんが、亡くなると、みんな納得した顔をしている。
ちゃんと、あっちの世界があると、本人はわかっているんだなあと思う。
帯津先生が診られている患者さんは、末期がんの患者さんが多い。
先生は多くの患者さんの死に立ち会ってこられた。
その方が実感されている。
死後の世界はあると・・・。
私も死後の世界を信じたい。
そのほうが安心して人生を終えることが出来そうだ。
人生は魂の修行の場。
死を繰り返すたびに成長していく。
そう思いたい。
もちろん、信じる信じないは自由だが・・・。