【公式】いしづき接骨院|新潟県見附市の接骨院

見附初!腰痛の痛みを解消するための接骨院『いしづき接骨院』

【営業時間】
月曜日~土曜日
午前|8時30分~12時30分
午後|14時30分~18時30分
【休業日】
日曜・祝日

才能とは何か?

よく才能があるとか無いとかいうが、結局、才能って何?

彼は絵の才能があるとか、音楽の才能があるとかいう。商売の才能というのも聞く。

だれにも才能はあると、一般的には言われている。

誰にも何かの才能があるのなら、自分には才能がないと悩む必要はない。

 

絵を描くのが好きだとしよう。

過去に何回かコンクールで入賞しているとしよう。

確かに、その人は絵の才能がある。

そこで、プロの画家を目指したが、挫折してサラリーマンになったという話はよく聞く話だ。

プロでは自分の才能は通用しなかったと言う。

どうやら世の中、才能にもレベルがあって、才能があるからといってプロになれるわけではないらしい。

せっかく才能があっても、プロのレベルではないからと言って、それをやめてしまう人がいる。

趣味程度でいいや。

暇なときに描いて、満足していればいいやと、適当にお茶をにごしてその才能を磨こうとしない。

しかし、才能というのは、自己満足のために持っていればいいというものではない!と、私は思う。

たとえ、プロの画家にはなれなくても、プロのイラストレーターになれるかもしれない。

もしかしたら、プロのデザイナーになるかもしれない。

プロのデザイナーになれなくても、プロの商業デザイナーになれるかもしれない。

あるいは、社内広報にイラストを描いてくれと言われるかもしれない。

これだって、芸術とは関係ない会社に勤務していたとしても、給料をもらっている中での仕事だから、プロのイラストレーターと言っていい。

要は、自分の才能の大きさに関係なく、それをまわりに活かすことが大切だと思う。

才能を活かすことにより、まわりのためになる。

これが自分の生きがいになり、自分の存在価値を高めることになる。

 

それで、結局才能って何?

私は、なんとなくそれを繰り返してしまうことだと思う。

だれに指示されることもなく、それをやらないと気が済まないこと。

あるいは、だれに止められても、やってしまうということ。

だれだって絵がうまくなろうと思えば、絵の描き方を勉強し、あるいは習い、何枚も描くことしかない。

何枚も描いては、技術を習得し、経験し、工夫する。

しかし、プロの絵描きになるには、何年もかかるかもしれないし、途中でいやになるかもしれない。

それでも、やめられないで描いてしまう。

これは努力しているのではなく、やめられなくて描き続けているのだ。

がんばらなくちゃと思っているのではなく、がんばってしまうのである。

そんな奴に普通は勝てない。

結局、才能とはやめられない病癖みたいなものだと思う。

それをやれば満足して、それをやらなければ不満になる。

病癖のように絵を繰り返し書き、技術とセンスが身についていく。

身に着けるのではなく、身についていくものだ。

 

そんな大袈裟な感じではなく、それをやらないとなんかすっきりしないというのも才能だと思う。

それをやれば、自分の機嫌がよくなること。

これはだれにでもあるのではないか?

この才能を見つけ出し、自分が満足するだけでなく、他の人も満足するように世間とのつながりをつける。

 

たとえば、マンガを描くのは下手だが、マンガを読むのが好きだとしよう。

マンガを選ぶときには、自分の好きなジャンルがあって、そのジャンルの本があるとついつい買って、夢中になって読んでしまう。

これだって立派な才能だと思う。

これをそのまま続けていれば、ただの自己満足にすぎないが、これをSNSなどでまわりに紹介すれば、そのジャンルが好きな人たちとつながり、役に立つことが出てくる。

これが才能を活かすということ。

自分にしてあげるとうれしいことを、他人にもしてあげること。

これこそが、自分の才能を活かすということだと思う。

だれにでも才能はある。