センスの哲学
先日、立命館大学大学院教授の千葉雅也氏の「センスの哲学」(文芸春秋)という本を読んだ。
なるほど、センスとはこういうものだったのか!と感銘を受けたので、その内容を皆さん共有したいと思う。
「センス」と言うとみなさんは、どんな時に使うだろうか?
洋服を見て「センスがいい」とか、センスのいい着こなしとか言う。
「運動のセンス」っていうこともある。
たとえば、「テニスのセンスないんだよねえ。野球なら上手いんだけど・・・・」とか・・・・。
「音楽のセンス」というのもよく使う。
何をもってセンスがいいとかセンスが悪いというのか?
この千葉教授の本には、「センスとはリズムとバランスである」と書かれている。
いや、直接そう書かれているのではなく、あくまで私がこの本の内容を要約した結果、そう書かれていると解釈した。
たとえば、音楽。
クラッシックでもポップスでもロックでも、同じパターンのリズムの繰り返しがあって、時々、聞き手の予想を裏切って崩れたり、またもとのパターンに戻ったりする。
この予測どおりのリズムパターンと予測を裏切るリズムが程よく組み込まれている音楽は、聴いていて心地いい。
一曲の音楽の中に予測通りの安定したものがあるとリズムに乗りやすい。
しかし、そればかりだと飽きてしまう。
飽きないように予想外のリズムに移行する。
これがタイミングよく入ってくると、刺激があって心地いい。
人間は基本的には予測可能な安定性を求めるが、そればかりではなく予想外の不安定性も求める。
安定ばかりだと、刺激が欲しくなるということ。
従って、安定と刺激のバランスがほどよくミックスされた曲はセンスがいいと感じる。
しかし、安定ばかりで同じパターンのリズムが多いとセンスが悪いと感じ、予想外のパターンばかりだと、センスが悪いというよりは不快に感じるだろう。
また、予想外のパターンも、あまりにも突飛ななリズムだとやはりセンスが悪いと思うだろう。
パターンの外れ方にも程度があるということ。
その外れる程度によって、快・不快が分かれる。
予想と予想外の間を流れるような音楽だと、人は心地よく感じる。
センスがいいと思う。
抽象画などもそうだろう。
一般的に抽象画の楽しみ方を知っている人は少ないと思う。
私も抽象画をどう楽しめばいいのか?はっきりとはわからない。
見たときの印象や感覚を楽しめばいいのか?それとも、それを見たときに連想されるイマジネーションを楽しめばいいのか?
まあ、その程度の感じだ。
しかし、絵もリズムだと思えば、見方も明確になってくる。
たとえば、家らしきものが画面の右半分に黒く描かれている。
その家は高床式住居を連想させるようなシルエットになっている。
家を支えている土台の柱は、赤で、一部がグリーンになっている。
背景は薄グレーが塗られていて、少し、ピンク色の何かをグレーで塗りつぶしたような形跡もある。
これをリズムで見るのである。
まず、背景は薄グレー、家は黒なので基本的には対照的ではっきりと濃淡のバランスを取っている。
家の下半分は赤、上半分は黒なので、思い沈むような色と燃え上がるようなものを連想させる色とでこれも対照的でバランスが取れている。
家の黒い部分は、レンガを積む重ねたような長方形が黒塗りつぶされて積み上げられている。
下の赤い部分は、縦にむらのある線で描かれている。
かっちりした感じと不安定な感じでバランスが取れている。
このように濃淡の対象的なバランスを楽しむ。
塗りつぶした重くて硬い感じの色と、ムラがあって、動的なものを連想させる色の組み合わせもバランスをを感じる。
横に塗ることを繰り返している部分と縦に塗る部分に変わる部分がある。
このように対照的なリズムの組み合わせが、絵を見ている人の脳を刺激し、心地よさを感じたり、感情が動いたりする。
この組み合わせのバランスの妙が、センスの良さとなる。
このように全てのことににリズムを感じて、見聞きしてみて、そのときの感覚が心地よければ、センスが良いと判断できるだろう。
最近、この本を読んでジャズを聴いていると、リズムの流れを線でイメージすることができるようになり、その「曲線」の動きや流れを楽しむことができるようになった。
あ、そうか!
だから音楽作品のことを「曲」と言うのか。
この本を読んでかなり芸術やスポーツ、パフォーマンスの見方が変わった。
面白さが増した気がする。
「センスの哲学」。
是非、ご一読をお勧めする。