【公式】いしづき接骨院|新潟県見附市の接骨院

見附初!腰痛の痛みを解消するための接骨院『いしづき接骨院』

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ラーメンの発祥地は中国か日本か?

私が中学生くらいの頃、今から45年以上前、街の中華料理屋さんで、店先の提灯に「支那そば」と書かれてあったのを記憶している。

私はその店の「支那そば」とシュウマイが大好きだった。

スープは透明で鳥ガラスープのあっさりとした味だった。

麺は細めで、ナルトとチャーシュウとメンマが入っていた。

でも、なんでこの店は、このラーメンを「支那そば」と言うのだろう?

他の店は、ラーメンか中華そばと言っているのに・・・・・。

 

今、現在はどこに行ってもほとんどが「ラーメン」になっていて、おそらく未だに「支那そば」と言っている店はないのかもしれない。

時々「昔ながらの中華そば」という名称は見るが・・・・。

そもそも「支那そば」と「中華そば」と「ラーメン」は違うは何か?

私の経験上、これらは全て同じ料理のことを指していると思うのだが・・・・。

では、まず、「支那そば」とは何か?

それはいつだれが最初に発明したのか?

いろいろ調べてみた

 

まず、そのルーツは中国にあり。

まあ、当然のことだ。日本料理ではないことは確かだ。

いろいろ調べてみると、中国の蘭州市というところで作られていた「ラー・ミェン」という麺料理が、江戸時代に日本に伝えられたのがはじまりだという。

当時は日本そばと区別するために「南京そば」と言われていたらしい。

当時、「南京」」とは中国のことであり、中華街で中国の料理人が作っていたものが、それだった。

 

やがて、明治時代になると、東京浅草の「来々軒」という大衆食堂が、横浜中華街から料理人をスカウトしてきて、その料理人が作った「ラー・ミェン」を鳥ガラスープで作ってもらい(ラー・ミェンは牛肉スープ)、それを「支那そば」として売り出した。

「ラ―・ミェン」は、本場の中華料理であり、高級料理で、当時の庶民には手が出なかった。

そこで、牛肉スープを鳥ガラスープに変えたり、安い食材を使うことにより、庶民にも気軽に食べれる値段にした。

このお店は、そのほかワンタン、シュウマイなども日本で初めて売り出し、天津飯、中華丼なども発明した。

 

やがて、中国で辛亥革命が起き、清王朝が倒れ、新しい国「中華人民共和国」が誕生した。

しかし、日本においては、その名前「中華」という言葉が気に入らなかった。

日本では「中華」の意味をこう解釈している。

中国語で「華」とは文化のことを指す。

「中華」とは直訳すれば、文化の中という意味だ。

「我々の国は文化の中にいる。文化の外にいる他の国は野蛮な者どもだ。」

日本ではこのように解釈されたので、「これは世界に対する侮辱だ!昔から使っていた「支那」でいいじゃないか!」と反対した。

中国側は、「どんな名前をつけようがこちらの勝手だ!それに『支那』という言葉は、戦前、日本人が、我が国や人民を蔑視して使っていた言葉だ」と反論した。

さらに「もう、日本人は『支那』という言葉を使うな!」と猛烈に抗議した。

結局、「中華人民共和国」の名前でいくことになり、中国政府は「支那」という言葉を日本人は使うな!と言い続けた。

ちなみに私は、「中華」の意味は、「華やかな文化の中」という意味だと解釈している。

私は、中国の文化は華やかで美しい文化だと思う。

「華やかで美しい文化の中にある国」。

「中華」という言葉は中国の文化を適切に表現したものだと思う。

 

それで、日本の「支那そば」は戦後、「中華そば」となった。

やがて「中華そば」は、大衆食堂や蕎麦屋が、黄色い麺にそばだし汁を中華風にアレンジして安価で提供しするようになった。

それが大衆に受け入れられブームとなった。

なので、今でも「昔ながらの中華そば」は、醤油味なのだ。

 

さらに時は流れ、1958年、日清食品が「チキンラーメン」という即席めんを作り大ヒットとなった。

もともと中国にも麺を油で揚げて保存する方法はあったが、それをお湯で戻すことはなく、硬い麺のまま、その上に八宝菜をかけたり、スープに入れたりするものだった。

麺を食べるときに餡やスープは作らなければならない。

しかし、チキンラーメンは、お湯を注ぐだけで、スープができてしまい、手早くカンタンに作れるし、値段も安い。

この大ヒットの影響で、「中華そば」は「ラーメン」と呼ばれるようになった。

 

昔、横浜中華街で作っていた「ラー・ミェン」は「南京そば」と呼ばれ、日本人向けに改良されて「支那そば」となり、戦後は蕎麦屋さん、大衆食堂にも普及して「中華そば」となり、チキンラーメンの大ヒットで「ラーメン」となった。

皮肉なことに中国人料理人が日本人の好みに合うように改良するようになって「支那そば」と呼ばれるようになり、戦後にいたって「支那」は中国の蔑称だと言われて「中華そば」になった。

当時の日本人は「支那そば」の「支那」に中国を馬鹿にしたような意味なんて感じていなかったと思う。

ただ、日本にはそばというものがあって、それと区別するために「支那」と名付けただけであって、むしろ中国には日本とは違う面白い麺があるなあ、くらいの感じだったと思う。

 

昔、高級中華料理だった「ラー・ミェン」は今では、安くてうまい日本独特の「ラーメン」になった。

香港、台湾のレストランでは、日本の即席めんを使って調理しているところも多いという。

中国人に「ラーメン」の起源はどこかときくと、「日本」と答えるらしい。

それほど、「ラーメン」は長年日本人が創意工夫してきた、いわば日本式中華料理なのだ。

日本で様々な創意工夫がなされ、世界でも人気があり、「日本文化」の一つといってもいいほどになった。

 

結局、ラーメンの発祥の地はどこにあるのか?という答えを探せば、日本ということになる。

「支那そば」時代の初期に、中国の料理人が「ラー・ミェン」を日本人好みの料理に作り替えた。

ルーツはそこにある。

ラーメンの発祥地は日本にあり、それは中国人が作ったもの。

中国人が、日本人が「美味しい」といって食べてくれるように自国の料理を改変したものだ。

これは中国人と日本人が作り出した友情の証だと思う。