日本人にとって小指とは何か?
指きりげんまんうそついたらはりせんぼんの~ます、指切った。
子供のころ何か約束するとき、この指切りというものをやった人は多いだろう。
小指をからめ、上下に振って、最後は小指をひきちぎるような勢いではずす。
しかも冒頭のなぞの歌を歌いながら・・・・。
なぜ約束するのに指を切るのか?
げんまんとは何か?
はりせんぼんとは、針を千本ということか?
子供が明日またここで遊ぼう約束ね!といってうそをついたら、指を切られて針を千本飲まされる。
そんなばかなことがあるだろうか?
しかも、げんまんとは、調べてみると「拳万」という意味で、万回拳で殴るという意味。
約束を破ったら、拳骨で何万回もぶん殴るぞ!ということだ。
あまりにも子供の世界のことにしては、残酷過ぎる。
想像もできない。
しかし、逆に考えれば、子供がおおげさなことを言って面白がっているということも考えられる。
では、この指切りげんまんは、子供が考え出したものなのか?
いろいろ調べていくと、これは江戸時代の遊女が好意を寄せる男性に対し、変わらぬ愛情の証として小指を切って渡したということに由来するらしい。
また、室町時代には、お金に関する法律があり、これに違反すると男は斬首、女は指を切ることになる。
斬首は当然死罪であり、女性には死罪相当として指を切るというわけである。
ということは、指を切る=死罪になってもかまわない→命がけという連想と考えが成り立つ。
つまり、江戸時代の遊女が指を切って男に渡すという意味は、あなたへの愛情は決して変わりません、その証に命を差し出してもかまわないという意味だ。
すざまじい遊女の情念というか、鬼気迫る思いが、この指切りげんまんに込められていると思う。
では、なぜ小指なのか?
指を切るという行為は命懸けの愛情を意味する。
しかし、小指に特定しているのはなぜか?
遊女は相手の男とゆくゆくは一緒に生活したいという夢がある。
そのとき、指が全部なければ、生活に困る。
しかし、小さい指一本くらいなくても生活には困らない。
だから小指というわけだ。
これはネットから拾ってきた情報だが、愛する人との生活のために小指を犠牲にしているという話なので、小指と愛情のつながりを示唆するものだと思う。
私は学生時代柔道をやってきた。
その時、相手の道着を掴む場合、小指をしっかり握りこんで、ほかの指の力を抜けと教えられた。
たしかに小指を握りこむと相手を引きつけやすい。
脇が締まり、体に力が入り安定して動くことができる。
柔道にとっては相手を引きつけることで技をかけるので、小指は大事だ。
単純に動作として見れば、小指を握りこむことによって相手を強くひきつけることが可能なら、強く抱きしめることも可能だ。
試しに小指を浮かせて誰かを抱きしめて見るとわかる。
弱々しく頼りなく感じるだろう。
今度は柔道のように服を握りしめないでいいので、単純に何も掴まないで小指だけ握りこんで抱きしめてみよう。
ぎゅううううううっと力が入って、愛情が籠る感じがするだろう。
また東洋医学では、小指の先は心系の経絡の始まるところだ。
経絡とは気の流れるルート。
その経絡上には心臓に関するツボが並ぶ。
心系は小指の先から脇の下にかけて流れる。
感情としては、愛情と憎しみに関係する。
心系のルートに気が滞りなく流れていれば、愛情深くなる。
逆流したり、滞っていれば憎しみが強くなる。
このような経絡の考えは、中国だけではなく、日本でも昔から漢方の中で普通に使われてきた。
このように見ていくと、以下のようにまとめることができる。
小指によるゆびきりげんまんは、本来、遊郭における命がけの愛の表現だった。
小指は、柔道において相手を強くひきつけるための役割をはたすものである。
また、強く引きつけることは、動作としては相手を強く抱きしめることにも通じる。
東洋医学的には、小指は命を司る心臓と関係し、愛と憎しみの感情にかかわっている。
つまり、日本人にとって小指とは、愛という情念の象徴だと言っていいだろう。
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