人は痛みを使いまわす。
人は悩みがあると、自分の身体に痛みを出してしまうのかもしれません。
たとえば、子供が月曜日、学校に行きたくないとお腹が痛くなる。
これは、本当に痛くなるのであり、まんざら仮病というわけでもありません。
しかし、学校を休んでもいいと言われると、途端に腹痛がなおります。
大人でもそうではないでしょうか?
いろいろトラブルがあり、ストレスが溜まってくると胃が痛くなってくる。
あるいは、下痢気味になってくる。
あるいは、便秘になったりする。
これも仮病ではなく、実際にそうなってしまうのです。
これは、内臓にかかわらず筋肉でもそういったことが起こりえます。
胃が痛くなって背中が丸まれば、肩が凝り、しまいには腕があがりにくくなります。
便秘になると、腰の筋肉が硬くなり、ぎっくり腰を起こしやすくなります。
やることがなくなり、外へも出たくない人は、膝が衰え痛みを出すことになる。
このように内臓のみならず、筋肉もその人の悩みやストレスによって痛みを出します。
人は心の痛みを、体の中で使いまわす生き物なのかもしれません。
では、人はなぜ、そのように心の痛みを肉体の痛みに変換してしまうのでしょう?
それは、心の痛みを感じ続けていくことに耐えられなくなるからだと思います。
心がその悩みやストレスに集中し続けていると、耐えきれなくなり、壊れてしまう。
その危機を避けるために肉体に痛みを出す。
その肉体の痛みによって、心の痛みから意識をそらすことができる。
そして、その痛みをまわりにわかってもらうことによって、「私が今、うまくいかないのは、悩んでいるからではなく、腰が痛いからだ。だから、助けて欲しい」とか「うまくいかなかったのは腰が痛いせいで、腰が痛くなければうまくいったのに・・・・。だからおおめに見て欲しい」といった戦略をとろうとする。
それは、自分の心を守るためのもので、まわりからも保護してもらうための「無意識の戦略」なのです。
けして本人が意図的に計画的に仕組んだものではなく、心が心を守るためにとる自動的な戦略なのだと思います。
しかし、この戦略は、心の痛みが続く限り、あるいは、自分の意識が自分の心の痛みに気が付かないかぎり、長期にわたり筋肉に痛みを出し続けます。
そうすると、腰の痛みは、膝、肩、脚に波及していき、身体のバランスが崩れ、しまいには動けなくなってしまいます。こうすると、もはや、まわりの力を借りなければ生活していくことができなくなります。
こうなると心の痛みの原因は、自分の肉体から抜け出して、「なんで、私がこんな状態なのに、まわりは助けてくれないのか」といったぐあいに、もはや、自分の責任ではなく、まわりの責任となり、自分の弱さの責任はまわりがとってくれ!と言わんばかりになります。
こうなって、自分の責任を放棄すれば、心も痛まなくていいわけです。
これで完璧に自分の心を守り切ったということです。
しかし、自分の体に住み着いた痛みは、もはや取り除くことができないくらい確実に肉体をむしばんでいきます。守り切った心とは関係なく、今までの痛みが蓄積されて筋肉が衰え、硬くなり、痛みはもうとれません。
やがて内臓レベルでも問題が起き、寝たきりになります。
そんな人生、だれも望んではいない。
だから、自分の心の弱さと向き合い、向き合い続けても壊れない強さを身に着ける必要がある。
そのためには、運動をして筋肉を鍛えることです。
ボディビルダーのようになれとは言いません。
アスリートのようになれとは言いません。
普通の生活を軽々と送るために、筋肉をきたえましょう。
そのためには、生涯続けられる運動が必要です。
心の弱さは、内臓に影響が出て、筋肉に痛みを出す。
心の痛みから生じた肉体の痛みが、生活そのものをむしばんでいくことになります。
こうならないためにも、私は生涯にわたり長く続けていけるようなスポーツ、運動などをお勧めします。
若かりし青春時代、いろいろ悩みを抱えていたとき、思い切りスポーツで汗を流してストレスを発散していた方も多いはずです。スポーツで発散した翌日は、そこらじゅう筋肉痛で辟易したはずです。
しかし、筋肉は鍛えれば、筋肉痛を出して辛いけれども、発達して強い力を出すようになります。
筋肉に強い力が出れば、思考は前向きになり、心の悩みを克服するために向き合う気力が出るようになります。
悩みがあり、それが肉体に痛みを出すならば、あらかじめ筋肉痛で痛みを出しておくほうが、よほど健康的です。
そして、筋肉が発達して力が出るようになれば、動きも機敏になり、気力も出てきます。
心の難局を乗り切るための精神力が出てくるのです。
心と身体はつながっています。
心の弱さは、内臓に影響が出て、筋肉に痛みを出す。
心の弱さは、筋肉を鍛えることにより克服できる。
この往復するようなシステムを理解できれば、生涯体育の重要性が理解できると思います。